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信教の自由の【自由】の意味を考えて欲しい

トピック「宗教」について

こんにちは!イチゼロです。
早いものでもう3月ですねー。なんだかあっと言う間に時間が過ぎている感覚です。


さて、今回はトピックに【宗教について】というのがあったので個人的な見解で記事を書いていきたいと思います。


もくじ

なぜ宗教の記事を書こうと思ったのか?

正直この類の記事を書くのはかなり躊躇しました。デリケートな内容になりますし、この手の話題に敏感な方もいますしね。
しかし今回執筆に至ったのはトピックにピックアップされたりしないかなー?なんて考えと、某有名人の出家騒動が世間を賑わせている今が旬なのかな?といった理由です。
かなり個人的な意見になりますので、苦手な方はバックお願いします。


そもそも宗教とはなんなのか?

「宗教とは何か」という問いに対して、宗教者、哲学者、宗教学者などによって非常に多数の宗教の定義が試みられてきた[12]とされ、「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」といわれる[13][1]とされる。代表的なものだけを取り上げただけでもかなりの数になる[14]とされ、例えば、ジェームズ・リューバ(英語版)の著書[15]の付録には48の定義およびそれに関するコメントが書かれており、日本の文部省宗務課がかつて作成した「宗教定義集」[16]でも104の定義が挙げられている[17]といい、その気になればさらに集めることも難しくはない[18]という。 Wikipediaより引用


Wikipediaによると宗教の定義の欄にはこのように書かれています。ちゃんと読んだのですが・・・よくわからん!
かなり雑に解釈したら「宗教の定義なんて無理、そんなの星の数ほどあるで」って事でしょうか?宗教の定義は宗教学者の数ほどもあるって書いてますしね。
宗教定義集とやらを熟読したら多少は理解できるのかもしれませんが、これは興味のある方にお任せします。私はあまり興味がないので。



無宗教の割合はおよそ12.7%


同じくWikiからの情報なのですが、無宗教の割合はおよそ12.7%ほどらしいです。
日本で恐らく最もメジャーな仏教は5.9%となっており意外と少ないです。まあ世界的に見たら日本なんて小さい国ですからね、そう考えると妥当な数字なのかもしれません。

ちなみに私は無宗教です。なにも信仰していませんし、そういった類のものには今後も入る事はないでしょう。かと言って神や仏を全く信じていないかと言えばそうでもありません。
どっち付かずと言うのが正しいですかね?もっと言えば居ても居なくてもどちらでも良いや!ってのが本音です。こんな発言が出来るのも日本が信教の自由の国だからです。
宗教に対して厳しい国ならこんな発言は危ないので絶対に控えましょう。



信教の自由・・・あなたはどう考えますか?

日本は信教の自由の国です。つまり誰がどの宗教を信仰してもいいし、他人に信教を強制する事も出来ません。これは定義された立派な法律です。
私は個人的には自由で良かったと思います、信じたくもないものを無理やり信仰させられてもありがたみなんてこれっぽっちもないですしね。強制させられるくらいなら自分で選びたいです。


私個人は宗教の自由に大いに賛成なのですが、中にはこんな意見もありました。


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp


少し古い内容ですが、この知恵袋の方は【宗教の自由は危険ではないか?】という意見を示しています。
宗教を振り翳して弱った人の心に入り込み無意味なものを高額な値段で売りつける行為が横行するのはこの憲法のせいではないか?という事ですね...。

確かになにかしらの規制を法律でかけてしまえばこれらの被害は減るでしょうし、宗教団体を作る事も難しくなると思います。しかし規制によっては肩身の狭い思いをする人も少なからずでてしまいそうですね。どちらがいいのかと問われたら一概に解答は出来ないです。


自由と言えば聞こえはいいが、本質は法律という盾を持たないという事である

ここが一番言いたかった部分です。
自由と言えば聞こえはいいですが、言い返せば自由なのだから信仰して騙されても本人の自由な選択の結果なのです。


奇跡で病気が治ると言われて買ったツボも
熱心な信仰のもと高額なお布施を繰り返しても
水道水という名の聖水を毎月大量に買ったとしても



これら全て本人の選択なのです。
実際はわかりませんが、このようなものは法律で裁ける(対象が現実的に法律で裁ける)ものでなければ騙されたと喚いても訴えるのは難しいのではないでしょうか?
閻魔様や仏様は法律で裁けませんからね。



もう一度言いますが自由という事はつまり自己責任であるという事なんです。現実にないものは法律では裁けません。くれぐれも慎重に考える事をお勧めします。



まとめ


最後に個人的な話になりますが、昔小説を書くことにはまっていた時期がありましてこんな設定の小説を書いた記憶があります(現在非公開にしてます)


あなたは際限なく増殖を繰り返し、尚且つ全く世話をする必要のない家畜がいるのをご存じだろうか?
私は知っている。その家畜は自ら食料を作り、水を確保し、必要に応じて増殖を繰り返す。
飼い主はただ静かに待っている。必要な量まで家畜が増殖するその時を...。
青く丸い水槽の中には既に70億近い家畜が蠢いている。機が熟すのは明日かもしれない

ざっくりこんな感じの内容だったと思います。
説明不要だと思いますが、この小説の設定は人間は【完全に自動で増殖を繰り返す完成された家畜】という設定で、神【人間(家畜)を作った者】が捕食しに地球へとやってくるという設定ですね。
中学生?くらいの時に書いたので内容はとても稚拙(笑)なものでしたが、当時も今も私にとって神様という存在はUMAや宇宙人となんら変わりないただの好奇心の対象にすぎないのかもしれません。

この小説では神様をヒール(悪役)で使ってしまっていますが、信教の自由の国ならではの発想なんでしょうかね?(笑)


今回の記事は以上になります!最後までお付き合いありがとうございました。



それでは!!